教養力就活

ライバルに3歩差をつける、就活(とキャリア)に役立つ教養っぽい話

「動物化」というエンターテイメント/文化人類学が語るビジネスチャンス

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ジュワジュワと音を立ててながら、どぶりとタレの海にダイブしたるつくね。もっちりとした弾力を内側に秘めながら、カリッとした皮の上で肉汁が踊る鳥皮。それらをばくりと口にほうばって・・・。そんな焼き鳥の魅力は、いったいどこから来るのでしょう。その鍵は、「礼儀作法」の歴史にありそうです。

 

私たちが普段何気なく使う「食事のマナー」というのは、いったいいつからできたかご存知でしょうか。西洋に限って言えば、16世紀、ヨーロッパの宮廷社会がその源流とされています(ノルベルト・アリエスの論文を基準にすればですが)。ヨーロッパの近世においては、社会のエリート階層だった貴族たちはその性質を大きく変容させつつありました。それまでは騎士としての貴族、つまり武家貴族だったのが、戦闘が減り、廷臣としての貴族、つまり宮廷人としての貴族に変わりつつあったということです。そうした中で、エリートとしての彼らは他の階級との差別化を、武力以外の面で行う必要がありました。日本において、江戸時代の武士が、戦国武将のような勇猛さや豪傑さよりも、精神を自ら律し、教養を高めることをよしとされたのと似ています。そしてこのあたりから、「礼儀作法」という概念が起こりました。17世紀後半から18世紀後半にフランスで一部の民衆も含めベストセラーになった『礼儀作法書』では、「動物の流儀から遠ざかる」ことが美徳であるとされていました。スープの皿に覆いかぶさるようにしてピチャピチャと飲むのは豚のようだとされ、肉のこびりついた骨をしゃぶるのは犬のようだとされ、「ほかの動物に仲間入りしたほうがよい」と糾弾されました。そして、この「礼儀作法(civilite,シヴィリテ)」という言葉が、「文明化(=civilisation,シヴィリザシオン)」の語源となりました。つまり、動物性を排除していくことこそが、文明化であり、絶対善とされ、今日の「食事のマナー」につながっているわけです。

さて、これを踏まえてもう一度焼き鳥を見てみると、その食べ方は明らかに「動物的」と言えます。串とそれに刺さった鶏肉は、動物の骨に着いたままの肉と構造的に相似しています。そして食器は使わず、口を直接運びます。焼き鳥にがぶりと食らいつくときのあの幸福感は、暗黙のうちにタブー化されてきた、動物性を解放することから来ているのかもしれません。焼き鳥をナイフとフォークでお行儀よく食べても、たぶん美味しくありません。片や、同じく「手で持ってかぶりつく」という行為を伴うフライドチキンや、ハンバーガー、おにぎりにも、不思議と焼き鳥と同じようなシズルがあります。


食べ物に限らず、スプラッシュマウンテンと水浴びの関係だって、「動物性の復活」で説明できそうです。はたまた、裸足になって泥の上を歩いたり、畑に入ることは、どうしてあんなに気持ちがいいんでしょう。(裸足で畑に入ったことのある人は分かると思いますが、自分は今本当に、大地に立ってるぞ!という感覚を覚えます。)「文明化」されたものを、「動物化」する。そうすると、そのこと自体がエンターテイメントとして成立します。「動物化」という領域には、サバンナのごとく広大なマーケットが、まだまだ眠っているかもしれません。

 

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